兼松由香7人制ラグビーで2016年リオデジャネイロオリンピック夏季競技大会出場。9位〜12位決定戦ケニア戦ではトライを決め試合にも勝利。娘の年齢は9歳。 | 佐藤希望フェンシング(エペ個人)で2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロオリンピック夏季競技大会出場。今大会8位入賞。息子の年齢は3歳。 | 三星マナミMANプロジェクトリーダー スキーフリースタイルで2014年ソチオリンピック冬季競技大会出場。当時子どもは4歳。現在は6歳になり小学校1年生。 | 目次 トークセッション - 「リオオリンピックを終えて」
- 「ママアスリートを目の当たりにしたニュージーランド留学」
- 「JISS託児所の存在」
- 「ママアスリートになる夢を公言」
- 「ラグビーと子ども、どっちが大事なんだ」
- 「妊娠期のトレーニング〜情報収集手探りで」
- 「知識が無いリスク〜医師からは絶対安静」
- 「両立は母のサポートのおかげ」
- 「娘の言葉が一番のパワーになった」
- 「休んでもいいんだよ」
- 「これからのアスリートには正しい知識を持ってほしい」
- 「一日でも長く」
- 「TOKYOを目指すのか」
| 質疑応答 - 「産後1ヶ月での復帰」
- 「体力が戻るのはどのくらいかかった?」
- 「頑張りどころと抜くところってありますか?」
- 「今後のママアスリートのために」
- 「産後復帰のために行ったこと」
- 「女性としてどう変化したのか」
- 「ママの顔とアスリートの顔。切り替えのスイッチ」
- 「応援して下さる方だけじゃない」
| 「リオオリンピックを終えて」 三星:リオオリンピックで活躍したお二人の出産・育児を含めたすごくデリケートな部分を本日は特別にお話頂きます。宜しくお願いします。早速ですがリオオリンピックお疲れ様でした。まずはリオオリンピックの感想を簡単にお聞きかせ願えますか? 兼松:女子ラグビーにとって初めてのオリンピック(7人制ラグビーはリオ大会から正式種目に採用)で、(2011年サクラセブンズ発足から)とにかくオリンピックに向かって今まで約6年間、ひたすらオリンピックというものを想像してやってきたんですけれども、実際オリンピックに行ってみたら、今まで戦ってきた他の大会と違い独特の雰囲気がありました。オリンピックのブラジルの地に沢山の日本の方々が応援に来てくださって、その後ろにこれまで応援してくださった沢山の方達がいるということを自分達も十分わかっていたので、本当に一戦一戦緊張しました。 三星:初めて経験したことはありましたか? 兼松:選手村はアジア競技大会の時に経験していて、なんとなくイメージはできていたんですけれども、今回は世界大会ということもあり緊張感がすごかったです。 三星:ご家族の方とお子さんも一緒に現地入りしたと聞いたんですれども。 兼松:母と娘が来てくれました。母には来てほしいと思っていたんですけれども、治安の面で不安があって、娘が来ることには反対したのですが・・・。最終的に娘が母に泣きながら「いい子にするから私も連れて行って」とお願いしたそうで。 三星:でも実際に現地にお子さんが来てくれたことは嬉しかったですか? 兼松:やはりオリンピックという大舞台で娘の目の前でプレーすることをずっと夢見ていましたので。とても嬉しかったです。 三星:ありがとうございます。佐藤さんはいかがでしたか? 佐藤:ロンドンの時は独身で出場しているので、リオの時には応援してくれる人が増えて本当に力になったし、入賞して子どもにも「おめでとう」と言ってもらえたので、子どもを生んで復帰して本当に良かったなと思いました。 三星:佐藤さんのお子さんはリオには行かずに地元のパブリックビューイングで観戦されたそうですね。 佐藤:そうです。息子がまだ3歳なので、リオの治安も心配でしたし、放っておいたらまっすぐ歩かないし(笑)。どこに行くかわからないので、連れて行くことは出来なかったんですけれど、パブリックビューイングで結構夜中まで頑張って起きていてくれたらしいので、見せることができて良かったなと思います。 三星:逆に現地に連れて行かないことで自分の気持ちが安定した、ということはあったんですか? 佐藤:そうですね。やはり本当に治安の問題が心配ではあったので、連れて行っていたら心配になってしまったと思うので、その点は日本にいる分安心して試合をすることができました。 「ママアスリートを目の当たりにしたニュージーランド留学」 三星:まず兼松さん。妊娠・出産は、女性のライフイベントの中で本当に大きいことだと思うんですけれども、競技を続けながらその辺りのイメージはされていましたか? 兼松:19歳の時に初めて日本代表に選んで頂いたんですけれども、当時はまだ代表チームにママさんラガーの方はいらっしゃらなくて。皆さん本当にラグビーのことが大好きで、合宿中には食事をする時もとにかくラグビーの話ばかりでした。恋愛とか結婚とか出産とかそういう話をした覚えがなかったので、結婚や出産を機にラグビーは辞めるものだ、と勝手に自分で思い込んでいました。それが19歳でワールドカップに出場した時に、他の国には沢山のママさんラガーがいるということをその時初めて知りました。そしてその後、20歳の時ニュージーランドに半年間ラグビー留学に行ったんですけれども、そこのクラブチームにもママさんラガーが沢山いたので、その時に価値観が180度変わったんです。 三星:ニュージーランドのチームメイトがママアスリートとして活躍する姿に刺激を受けて自分もイメージするようになったということですね。 兼松:そうですね。チーム練習の時にグラウンドの隅の方で、子ども達が芝生に寝転がったりボールで遊んでいるという姿が普通でした。日本ではお父さんがラグビーをやっている練習に子どもがついて行くところ、ニュージーランドでは日本と逆で、お母さんがラグビーをやっていてそれを息子が見ているという光景が、私にとってはすごく衝撃的でした。また選手達がラグビーをやっている時の顔と、お母さんをやっている時の顔が全く違ったことに魅力を感じました。 三星:留学はかなり転機になったんですね。日本でもサクラセブンズが発足して世間の注目が集まり始めたと思いますが、まだラグビー女子の競技人口はそんなに多くはないんですか? 兼松:そうですね。オリンピック競技になったのは最近ですが、日本の女子ラグビーの歴史自体は1980年代から始まってはいます。でもチームが関東の方に固まっていたりして、関西の方ではなかなか競技者は少ない状態です。 三星:現在34歳でいらっしゃいますが、留学したのは何年前ですか?留学してママアスリートになるイメージができたのはどのくらい前でしたか? 兼松:14年前です。 三星:当時は結婚されていましたか? 兼松:いいえ。まだ20歳で大学生だったので。彼氏もいませんでした。 三星:それはラグビー仲間達も同じような状況だったんですか? 兼松:そうですね。代表チームでは私が最年少でみんな先輩方だったんですけれども。もしかしたら彼氏がいたのかもしれないんですが、当時そういう話題には全く触れなかったです(笑)。 三星:なるほど。その後結婚されて、ママアスリートを夢に描くようになったと思うんですけれど、妊娠がわかった時には一番初めに何を考えたんですか? 兼松:ニュージーランドに留学するまでは、日本代表選手になってワールドカップに出場することが子どもの頃からの夢だったんです。それがニュージーランド留学以降は、「ママさんラガーとしてワールドカップに出場する」という目標に変わりました。当時まだラグビーはオリンピック競技ではなかったので、私達にとって最大の目標はワールドカップでした。ただママさんラガーは一人でなれるものではありませんので、まず結婚する相手が見つかり、そして妊娠がわかった時は「ここからやっと夢がスタートする」という感謝の気持ちでいっぱいでした。 三星:イメージできる環境、ニュージーランドに行ってママアスリートと身近に過ごした経験が、その後のライフプランにすごく大きな影響を与えたんだと思いました。 「JISS託児所の存在」 三星:佐藤さんの場合は、ロンドンの時にはまだご結婚されていなかったじゃないですか。リオまでのライフプランを旦那さんと一緒に立ててイメージ通りにいったということですかね。 佐藤:そうですね。この4年間は本当にイメージ通りにいって自分でも怖いくらいです。 三星:一番初めに妊娠がわかった時は何を考えたんですか? 佐藤:ちょうどJISSに託児所が出来た頃でした。フェンシング競技はJISSで練習することがほとんどでした。この環境だったら子どもを預けてまた復帰して次のオリンピックを目指すことができるかなという風に一番に考えました。 三星:すごくイメージがしやすかったという感じですか? 佐藤:そうですね。もしJISSに託児所がなかったらなかなかイメージが出来なかったですし、もしかしたら引退していたかもしれません。 三星:私もJISSの託児所の利用者なので本当にあって良かったなと思っています。 「ママアスリートになる夢を公言」 三星:妊娠がわかってママアスリートとして復帰しようと思った時は、誰に相談されましたか? 兼松:妊娠する前にママさんラガーになる夢の相談を母親にしました。やはり子どもを育てるのに、私が合宿やトレーニングの時に、サポートを一番してもらうことになるのが母親だと思ったので、まず相談したら「子育ては任せろ」と心強い言葉をくれました。それと主人とは結婚前から、ママさんラガーとして世界で戦いたいという夢を約束していまして。主人には主人のまた違う夢がありましたし、お互いに夢を応援しようというのが私達の結婚の誓いでもありました。ですので妊娠する前に家族には相談をしていました。 三星:所属チームなどへの相談はいかがでしたか? 兼松:所属チームに妊娠を報告した時、いよいよ夢の実現が始まるということで、みんなは私が復帰するのを楽しみにしてくれていました。たまたま出産予定日のちょうど一ヵ月後くらいが私の誕生日だったんですけれども、その日にたまたま名古屋レディースの試合が組まれていたので、そこを復帰戦にしたらどうだとみんなが提案してくれて。産後一ヶ月で復帰は厳しいなと思ったんですけれども、でもそこまでみんなが待っていてくれるのだったら、よしじゃあ自分の誕生日に復帰してみせよう、と思って計画を立てました。 三星:じゃあチームにも妊娠する前から、ママアスリートとして復帰するということがシェアできている状態だったということでしょうか? 兼松:そうですね。結婚式の誓いの時に、列席者の前で自分の夢を公言したので。名古屋レディースのみんなも結婚式に来てくれたのでみんなもわかっていました。 三星:じゃあチームの心の準備は出来ていて、ようやくという感じで受け入れてくれたんですね。 兼松:そうですね。 三星:それはすごく心強いですね。 兼松:はい。名古屋レディースの練習に子どもを連れて行った場合、練習中に子どもを見てくれる人を用意してくれていました。 三星:その環境を整えるのってなかなか難しいですよね。それにまず、知ってもらうきっかけを作るのってものすごく難しいと思うんですよね。日本では特に、アスリートが競技と出産・育児を両立したいという思いを伝えられるところや機会がすごく少ないと思うんです。でも兼松さんはそれを結婚式というものすごくいいタイミングに公言したからこそ、コーチや関係者の方々や仲間達にも思いが浸透できたのかなと思います。結婚式ならみんな心の準備が出来ている状態だから、すごく良かったなと聞いていて思いました。 三星:佐藤さんは周りの環境や周囲からのサポートは受けましたか? 佐藤:練習拠点がJISSなので、富山で会社員をしている主人と離れて過ごさなければならないという状況でした。東京に子どもと2人で出てくるということを受け入れてくれる主人でよかったです。JISSでは練習場の選手達が子どもの相手をしてくれたりすることもありましたし、本当に周りの環境があってこその復帰だったなと思います。 「ラグビーと子ども、どっちが大事なんだ」 三星:実際に復帰を決められて運動を再開された時に、お父様に反対されたと伺ったんですけれども、そのお父様はどう説得されたのでしょうか? 兼松:父あってこそのラグビーでして、私が子どもの頃からラグビーをやり続けてこられたのは、父が毎週末の練習の送り迎えをしてくれたからです。なので、ラグビーのことを一番応援してくれていると思っていたんですけれども、いざ子どもが生まれて、産後実家に戻った私が、子どもを寝かせて、両親が見てくれていると思ってすぐ走りに出掛けようとしたら「お前何やってるんだ」とすごく叱られて「ラグビーと子どもとどっちが大事なんだ」と玄関先で言われて。昔から叱り役は母で、父は全然怒らない人だったので、あんなに怒った父を初めて見て。でも今自分が親の立場になってみて、その時の父の気持ちがわかります。まだ娘は本当に小さくて何があるかわからない時期だったので、何考えているんだ、と言われるのは当然だと思います。ただせっかく夢が始まったと思っていたのに、父が反対していたら成り立たないんじゃないのかなと思って、すぐに一番の理解者である母に、お父さんに叱られたと泣きながら話をしたら、母が「私が説得するから」と言って、その後母がゆっくり父に話をしてくれたんです。それからは父が一番娘の面倒を見てくれました。もう父は亡くなってしまったんですけれども、未だに娘が「おじいちゃん大好き」と言うんです。記憶に鮮明に残っているくらい可愛がってくれたんだなと思います。 三星:ラグビーを一番応援してくれていたお父様から反対されると思いましたか? 兼松:家族全員が応援してくれているものだと思っていました。結婚式で父の前でも夢を公言していたので、理解してくれていると思っていたんですけれども、確かに復帰の時期は早すぎたかなと。復帰してママさんラガーになることを反対したわけではなくて、さすがに産後一ヶ月で試合に出ようというのは無茶な話なので。私は復帰戦に向けて緻密に計画を立てていて、何日までに腹筋何回できるとか、ジョギング何キロできるとか、嬉しそうに計画を立てていたので、それを無理やり実行しようとしていた私に対して、父はちょっとブレーキをかけてくれたのかなと思います。 三星:なるほど。お父様の優しさを感じますね。お父様なりに娘を思う気持ちがあったのだろうなと感じました。 「妊娠期のトレーニング〜情報収集手探りで」 三星:家族のバックアップがあって、トレーニング等を進めて来られたと思うのですけれども、妊娠中に準備したことは何かありますか? 兼松:どういう体の状態になるのかという知識が全くなかったので、専門書を調べたり、あとは産婦人科のマタニティビクスを教えてくれる先生に相談したりしました。妊娠中もなるべく少しでも体を動かして、復帰後に楽に体を戻したいと思っていましたので、何もしないのではなくてできる運動を見つけてやるようにはしていました。 三星:マタニティビクスをされていたんですね。 兼松:そうです。マタニティビクスならやっていいんだと知って。それで、エアロビクスなら加減すればやっていいのかなと勝手に思って、名古屋市にあるトレーニングセンターでエアロビクスのレッスンが受けられる所を片っ端から調べまくって、全部のエアロビクスのレッスンに行ってやると思って、毎日のように行っていたら、だんだんお腹が目立ってきたので、もう来ないで下さい、と止められてしまいました(笑)。 三星:産婦人科医の先生が開かれているマタニティビクスではなく、普通のトレーニングセンターへ行ってフィットネススタジオとかでやっている一般の方向けのエアロビクスに通っていたということですね。 兼松:はい。マタニティビクスだけでは物足りなくて。 三星:なるほど(笑)。他にも講演会にも参加されたそうですね。 兼松:はい。産婦人科の先生方が開いている子育てに関する講演会には、見つけてはすぐ参加するようにしていました。知識が無かったので少しでも情報を得ていこうと思って。 三星:まずは計画を立てられるように情報収集をしたというわけですね。マタニティビクス以外には何か運動はされましたか? 兼松:マタニティビクスのレッスンでは、妊婦さんでもできる腹筋など簡単なトレーニングも一緒に教えて頂いたので、これはやって良いんだ、とわかったら家でもやることができました。 三星:妊娠中にマタニティビクスなどのトレーニングを始めたのは、やはり安定期に入る妊娠5ヶ月くらいからだったんですか? 兼松:そうですね。 三星:ちなみにいつまで? 兼松:詳しくは覚えていないんですけれども、マタニティビクスのレッスンには対象期間が設けられていましたのでそれに合わせて参加しました。それと、ラグビーのチーム練習には妊娠7ヶ月くらいまで行っていました。さすがにタックルとかはできないですけれども、タッチフットと言ってタックルのないラグビーは妊娠7ヶ月くらいまでみんなと一緒にやっていました。 三星:チームの皆さんも協力してくれたんですね。 兼松:私には優しくしてくれて、みんな気をつけろよと声を掛けてくれていました。 三星:自分の中でトレーニングする上で気を配っていたことがあれば教えて頂きたいんですけれども。 兼松:まず体重を増やし過ぎないことです。決してアスリートだけでなくて一般の方にも言えることで産後や出産の時に影響するので体重は増やし過ぎないようにと産婦人科の先生から常に言われていました。ウォーキングを臨月入ってからも出産予定日ギリギリまでずっとやって、体重を増やさないようには気にしていました。 三星:比較的に妊娠中は活動ができる健康な状態にあったということですね。 兼松:はい。 「知識が無いリスク〜医師からは絶対安静」 三星:佐藤さんは妊娠中にトレーニングはしていましたか? 佐藤:私も安定期に入ったらトレーニングをしようかなと思っていたらその前に動き過ぎてしまって。当時、知識が無さ過ぎて、バランスボールに乗ってピョンピョン跳んだりなんかしていたんです。そうしたら切迫早産気味になってしまって医者から絶対安静するようにと言われてしまったので、一番運動ができる安定期には全く動けませんでした。 三星:その頃きっと兼松さんは押し合いへし合いのトレーニングをしていたんでしょうね(笑)。 佐藤:その頃私は家で座っているだけでした。 三星:ちなみに私が妊娠中は、つわりもなくすごく安定していて、胎動を感じるまでは自分が妊娠していることすら実感がないくらいでした。一般のトレーニングジムに通ってマタニティトレーニングの専門的知識のある方にトレーニングメニューを組んでもらったりしていました。 三星:切迫早産になりそうだった時、体に異変を感じたり感覚はありましたか? 佐藤:全くわからなかったです。初めての妊娠だったので切迫早産という言葉すら初めて聞いたくらいでした。 三星:産婦人科の定期健診で言われたんですか? 佐藤:そうです。定期健診の時に突然言われて。そんな大変なことになっているの?という感じでした。 三星:先生は佐藤さんがアスリートだということを認識されていたのですか? 佐藤:知っていました。なので「動き過ぎているんじゃない?」とは言われました。薬を処方されて、次の検診までは絶対安静でということと、これ以上運動してしまうようなら入院させるからね、と言われました。 三星:その時どう思いましたか? 佐藤:もう絶対動かないと思いました。入院だけは嫌だと思って。それで入院はなんとか間逃れました。 「両立は母のサポートのおかげ」 三星:続いて競技との両立について伺いたいと思います。兼松さんは子育てとラグビーの他にお仕事もされていた時期もあると伺っているんですけれども、どのように対応されていましたか? 兼松:仕事をしたのはちょうど娘が幼稚園に上がった年から1年間だけでした。子どもの頃から先生になることが夢で、教員免許を取得していまして、幼稚園に上がれば延長保育を利用しながら仕事ができるかなと思って始めました。ちょうどその年からサクラセブンズの活動が始まって合宿へ行く日数が増えてしまったので、子育てとラグビーと仕事という3つは本当に厳しいなと思って。さらに最後の月に怪我をしてしまって、リハビリもと加わると4つは無理だなということになって、翌年からは仕事は辞めました。 三星:サクラセブンズの活動が活発になった時お子様はどうされていましたか? 兼松:幼稚園が始まってからは、娘を幼稚園に送り出した後にトレーニングをしていました。合宿の時は母が私の自宅に娘の面倒を見に来てくれていました。隣の市にある実家から片道1時間弱を毎日通ってくれて、自分の仕事の時間はまた実家に戻って仕事へ行くという、本当にハードワークを母はしてくれました。 三星:佐藤さんは、練習の時はJISSの託児所にお子さんを預けていらっしゃいますが、遠征の時はどうしているのですか? 佐藤:遠征は大体一週間くらいになりますが、福井の実家の母に預けます。母は保育士をしているのですが、母が勤めている保育園に一時保育で預けて、私は東京に戻ってそこから遠征に行き帰国したらまた福井に迎えに行くという感じでオリンピック前はずっとそのように過ごしていました。 三星:やはりすごく目が離せない時期だったと思うんですけれども、そこでお母様が保育士というプロフェッショナルだったということもすごく佐藤さんの支えにはなったのではないかなと思います。 佐藤:本当にプロに任せている感じでしたし、子どももすごく懐いていたので、安心して預けて試合ができたというのはあります。 「娘の言葉が一番のパワーになった」 三星:いま小学生のお子様を持つ兼松さんは、子育てに関して幼児期と違った小学生ならではの悩みはありましたか? 兼松:幼稚園まではラグビーのことが良くわからないまま応援してくれていた部分があったと思うんです。周りの大人に「お母さんオリンピック目指してすごいね」とか「ラグビーかっこいいね」などと言われて、なんとなくそうなのかなという感じでした。小学校に上がってからはコミュニケーションがしっかり取れるようになってきて、ラグビーのことをはっきり認識するようになったと思います。自分の気持ちがしっかり固まってきて、すごく寂しい、という気持ちがありながらもすごく応援してくれているというのがこちらもわかりますし、理解をしてくれるようになってからは本当に娘の言葉が一番のパワーになりました。コミュニケーションが取れることは、良い意味でも悪い意味でも本当に重要だなと思いました。 「休んでもいいんだよ」 三星:他のママアスリートの経験者のお話を聞くような機会というのはあったんでしょうか? 兼松:無かったです。 三星:お話を聞く機会はほしかったですか? 兼松:もちろんほしかったです。子育てに関しては母に頼っていて非常に助けられていたんですけれども、ママアスリートとしてやっていく上でもっと知っておきたかったなと思ったことは、やはり一番は体の変化のことです。私は出産してからの方が怪我が多いんです。特に大きい怪我がものすごく多くて、それは単純にサクラセブンズの練習量が上がったからということもあるかも知れないんですけれども、それに合わせて自分もがむしゃらにやってしまったということがあって。自分は子どもを生んで体が変わったんだということをもうちょっと自覚して、休む時はしっかり休むという勇気がもうちょっとあれば。何もかも若い選手と同じようにやっていたところがあったので・・・。本当にこれからママアスリートになる方々には、「お母さんは別のところ(子育て)で頑張っているんだから休んでもいいんだよ」という言葉をかけてあげたいなと思います。 三星:経験したからこそ、という感じですよね。 三星:佐藤さんはロンドンの時はママではなく、その後、出産・復帰し、ママアスリートとしてリオオリンピック出場をされました。ロンドンとリオで何か違いはありましたか? 佐藤:子どもが生まれてからは練習量が目に見えて減りました。リオの前は子どもがいるので限られた時間の中でしか練習ができない。やはりロンドン前と比べて練習時間が短いし、もうちょっとしたいなと思っていたんですけれども、だんだん子どもがいる生活をしていくにつれて、この練習量だから怪我をせずにオリンピック前の試合で戦えた、子どものおかげでセーブがかけられた部分があるので、本当に何も気にせずやっていたら怪我をしていたかなとも思うので、子どもができて限られた時間の中で練習するというのは、年齢的にもまたちょうど良かったのかなと思います。 三星:限られた時間で練習に取り組むという自分の切り替えは出来ていたと思いますか? 佐藤:そうですね。私には限られた時間しかないと割り切って、その中に詰め込んでやるという感じです。 三星:兼松さん、先ほどお聞きしたママアスリートから経験談を聞けていたらというお話、もし佐藤さんの経験をその時聞いていれば。怪我はどうでしたかね? 兼松:はい。減っていたかなと思います。 三星:やはり経験者のお話を聞くことは、自分のケースに照らし合わせて参考にできる選択肢が増えると思います。私自身もソチオリンピックに向けてママアスリートとして活動した時に、子育てにおいて相談できる人やママ友達は沢山いましたが、アスリートとしての視点で相談できる人、知識・経験を伝えてくれる人はいなかったです。ママアスリートはいたんですけれども、身近に話を聞ける相手がいなかったので、それがこのママアスリートネットワークのプロジェクトをスタートさせようと思ったきっかけです。今日のような機会にこれからのアスリートに向けて兼松さんや佐藤さんのお話が自分達の選択肢に繋がっていったらいいなと本当に思います。 「これからのアスリートには正しい知識を持ってほしい」 三星:これからの現役アスリートが妊娠・出産を経て競技復帰を望んだ時に、どういったサポートがあったらいいなと経験を踏まえて思いますか? 兼松:まず皆さんが知識を持って頂くことは大事です。正しい知識を持ってもらうためのサポートが必要です。スポーツと結婚・出産というのが、アスリートにとって体力が落ちていくのではないかというマイナスイメージが今までは強かったと思うんですけれども、決してそうではないということをまずは知ってほしいです。私の場合確かに怪我はしたんですけれども、出産前よりも実際に体力面やスピードなどトータル的に見ると数値は上がっているので、決して落ちるものではないと思います。あと今までは自分のためにラグビーをやっていたのが、子どものためであったり協力してくれる家族のためであったり抱えるものが一つ二つ増えると、短い時間の練習も先ほども佐藤さんがおっしゃったように、この時間しか私にはないと思えたから、今まで何となく練習していたものが、すごく集中して充実したものになるし。試合ですごく苦しい局面があった時に、家族のことや娘のことが頭にちょっとでも思い浮かべれば、絶対にあいつを倒してやるという強い気持ちに変わりますし。だから決して結婚や出産がスポーツにとってマイナスなのではなくてプラスに働くと私は思っているので、ぜひ皆さんにもポジティブに考えて頂いてこれからのライフプランにスポーツを入れて考えていってほしいなと思います。 三星:専門的な知識は大事ということ。そういうところを含めてですね。ありがとうございます。 三星:佐藤さんはいかがですか? 佐藤:最近はネットで検索すれば何でも出てくる時代にはなりましたけれども、アスリートに必要な妊娠・出産についての情報はなかなか出てこないと思います。フェンシングはJISSが練習拠点で、JISSは沢山のアスリートが集まってくる場所なので、妊娠・出産のことで考えているアスリートがいらっしゃった時は、私に声をかけて聞いてもらえたらいいと思います。私はJISS託児所があったから復帰できたんですけれども、地方にいる女性アスリートの方だとこういうサポート環境が無かったりだとか、お手伝いしてくれる方が近くにいなかったりだとか、という問題も出てくると思うので、今後、地方にも競技をしながら安心して預けられる場所が増えたらできたらいいなと思います。 「一日でも長く」 三星:今後の目標を教えていただいてもいいですか? 兼松:私のライフプランでは、リオが終わって清々しい顔で引退します、というイメージがずっと出来ていたんですけれど、実際は気持ちが引っかかっていて正直わからないというのが今の一番の答えだと思います。ただ、やっぱりラグビーが大好きでまだ闘争心が冷めていないというのとまだ向上心があるということだけは自分でもわかっています。また娘が今回オリンピックの舞台に立つ姿を現地で生で見てくれたことによって、娘の発言やラグビーに対する考え方がすごく変わったんです。私が言葉で色々伝えていくことは今後もできるんですけれども、でも体が動くうちはやっぱりフィールドに立って体で伝えていけるようにしたいなと思って。今は一日でも長くラグビーを続けたいなと思います。 三星:オリンピック前、娘さんはラグビーをやろうとはしなかったんですよね。 兼松:そうです。私のラグビーはすごく応援してくれたんですけれども、周りの人達からお母さんがラグビーをやっているからやらない?と聞かれても「絶対やらない」って。しかもすごく良い笑顔で、やらないって答えていたんです。だからきっとこの子の中では、すごく確固たるものがあるのだろうと思っていたんですけれども。それがリオが終わって、私が身の回りの物を整理している時に、ラグビーの使わなくなった道具を誰かにあげようかなとか色々と準備をしていると「ヘッドキャップは私が使うからあげないで」とか、まだ履いていないスパイクもいつかそのサイズになった時には「私が履くから取っておいて」と言ってきたんです。本人がどこまで本気で目指しているのかはわかりません。まだオリンピックを目指しているわけではないと思うんですけれども、ただ私と一緒にラグビーをやりたいという気持ちがあることだけはわかったので、だったら一日も長くその夢を叶えてあげたいなと思っています。 三星:いつか2人が一緒にプレーするところを見られるようになるのが楽しみです。 「TOKYOを目指すのか」 三星:そして佐藤さん、今後の目標をお聞きしてよろしいでしょうか? 佐藤:オリンピックは今回で2回目だったんですけれども、出るたびに成績は上がっていることもあるので次も目指したいと考えています。東京オリンピックの時に34歳になりますが、海外ではこの年齢でやっている人も多いし、体がまだ動くうちはやりたいなと思います。頭の片隅には2人目と言うことも考えながら。2人抱えながらの東京オリンピックを目指して頑張っていきたいなという風に思います。 三星:またロンドン後からリオの時のようにご主人と話し合っているんですか? 佐藤:そうですね。話し合っていますし、リオと全く同じ計画でいけたらいいなと思っています。切迫早産にはならないように、もし2人目ができた時は妊娠中もトレーニングしたいなという風に考えています。 三星:今回と同じ計画で行くなら妊娠はいつ頃するのが理想的でしょうか? 佐藤:来年あたりまでには2人目ができたらいいかなとは思います。まあできなかったらそれはそれで競技を頑張って続けようかなと思います。リオでは子どもに生で試合を見せることはできなかったので、東京だったら連れていけると思いますし、小学1年生になっているので記憶にも残ると思うので。 三星:東京オリンピックを目指すにあたり、今のサポート環境から少し変わってほしいことや望むようなことはありますか? 佐藤:息子が幼稚園に入る年齢になるので、沢山のお友達との集団生活を経験させたいです。JISS託児所の利用者はまだ少なくて、預けてもうちの子1人の時もあるので、託児所の利用者が今後増えてワイワイ賑やかになるといいなと思います。 三星:何か連盟やスタッフさんに望むことはありますか? 佐藤:本当にリオまで温かく受け入れて頂いたのでこれ以上お願いすることは無いかなと思うぐらい本当にやりやすかったですね。 三星:ちなみにどの部分が温かいと思いましたか? 佐藤:練習場に子どもを入れても遊び相手をしてくれたりとか、私の練習中にコーチがちょっと見てくれていたりとか。本当は嫌だった選手もいたかもしれないんですけれども、そんな顔をせず接してくれたので嬉しかったです。 三星:やっぱり環境の受け入れというものはすごく大きいものですか? 佐藤:この環境があったからこそやってこられたというのは間違いないですね。 三星:今、兼松さんのお子様は小学3年生ですよね。佐藤さんのお子様は東京オリンピックの時に小学1年生になられるということで、先輩ママアスリートに聞いてみたいことはありますか? 佐藤:お手伝いができるようになる年齢はどのぐらいだったのか聞いてみたいです。子どもに助けてほしいので。 兼松:小学校に上がってからは、ラグビーの練習になんとなくついて来るだけじゃなくて、みんなの中に混ざって自分ができることはやりたいと言うようにはなりましたね。 佐藤:そのぐらいしっかりしてくれると私も助かるなとは思います。 三星:私のやっているフリースタイルスキーは新種目ということもあり、ママアスリートのロールモデルが本当にいないのですが、兼松さんや佐藤さんも同じでそれぞれの競技でママアスリートとしてパイオニアだと思います。海外の選手を見てママアスリートになるイメージが湧いたというお話でしたが、今後はここにいる2人のような日本のママアスリートを見て、これから日本のアスリート達はライフプランをイメージしやすい環境になっていったらいいなと思います。またその環境を競技連盟の方達やスタッフの方達みんなで整えていけたら、ママアスリート達の活躍がますます期待できるのかなと思います。 佐藤:そうですね。今日トークセッションを聞きに来てくれているフェンシング女子エペの子達は、私の子どもでママになる練習は多分できていると思うので、いつママになっても大丈夫だと思います。期待していますよ。 質疑応答編 「産後1ヶ月での復帰」 貴重なお話ありがとうございました。兼松さんは、出産してから1ヵ月後の復帰を目指されたということでしたが、それは達成されたのでしょうか。 兼松:出産1ヵ月後のチームの復帰戦には出場することができました。 会場:えぇー! 兼松:ただ、自分がいつもプレーしていたポジションは相手とのクラッシュがとても多いポジションなのでポジションは替えてもらって、復帰戦ではフルバックといって一番後ろのポジションで出場しました。フルバックは守備の面で言えば、みんなが抜かれさえしなければタックルせずに済むので、みんな私にタックルさせないように頑張って前線で守ってくれたので、無事に復帰戦を自分の誕生日に迎えることができました。 「体力が戻るのはどのくらい?」 妊娠前の体力を100とすると産後どのくらいの期間で100まで戻ったのか。 兼松:産後5ヶ月で代表復帰をしたんですけども、体重は妊娠前の重さに戻りました。その時に体力が完璧に戻っていたかというと、自由自在に動けるようになったのは産後1年くらいかかったと思います。産後体重がすごく増えまして、妊娠中気をつけてはいたんですけど、以前の体重よりも6〜7kg増えた状態からのスタートだったので戻るのかなと不安でした。でも授乳をしていたのが良かったみたいで、特に何か特別に減量することなく落ちていって、5ヶ月後の大会までには体重は元に戻りました。 「頑張りどころと抜くところってありますか?」 お二人はこれまでに血のにじむような努力をされてきたと思いますが、今までにこれだけはしてきてよかったなと思える忍耐と、これはしなくてよかったなという忍耐があれば、それぞれ教えていただければと思います。本当にここで頑張らなければいけないとか、ちょっと引いた方がその後に繋がるとか、その力加減ってすごく迷うところがあると思うんです。漠然とした質問で申し訳ありませんが、もし何かあれば・・・お願いします。 兼松:私の経験からいくと、やはり生活の中では子どもが一番になってきて、次に自分のラグビーという優先順位になりまして。例えば子どもが熱を出した時に、その対応に自分がエネルギーを使っているということをあまり自覚しないまま、一生懸命おんぶしたり、熱が下がるまで看病したりしていたのに、いつもと同じ感覚のまま、練習に復帰した際に大怪我をしたということがありました。アスリート本人ももちろん指導者の方々は特にこれから知識を増やして頂けたらありがたいと思うんですけれど、やはり一人じゃないということ、体の変化もそうですし、抱えているものが一つ多いということは、どこかで休みを取らないといけないと思います。精神的にも肉体的にも完全な時は若い選手と一緒にやればいいと思うんですけれど、そこに少しでもマイナス要素や負担になることがあった時には休んだほうがいいのかなと思います。 私は実は出産した後に手術だけで7回していまして。7回の手術から乗り越えられたのは家族や娘のおかげだとは思うんですけれど、でも本当に反省しなければいけないのは、忍耐を常に使い続けてきたので、「そんなに無理をしなくてもいいんだよ」という言葉がやっぱり誰かから欲しかったなと今振り返ると思います。子どもに何かあった時、家族に何かあった時というのは本人も絶対に何かあると思った方がいいのかなという風に思います。 佐藤:ママアスリートに関係無く、忍耐と言えば、高校の時の練習が今までで一番辛かったです。私は高校からフェンシングを始めまして、その高校がインターハイなど全国で優勝するような強い高校だったんですけれども、練習量を日本一やっていると先生が胸を張って言うくらいのところでした。途中で辞めていく選手もいましたし、一日の練習時間がとても多くて、朝練・昼練・夜練がありました。あの時一番忍耐が必要だったなと今までの競技人生を振り返って思います。これをしなくて良かったなというのは、私はかなりポジティブな性格なので、いまちょっと思い浮かばないです。あと1日か2日くらい考えたら見当たるかも知れないんですけれども、ちょっとすみません、今すぐは出てこないです。 「今後のママアスリートのために」 妊娠中や出産後にあったら良かったなと思うサポートや今後のママアスリートのためにこういうサポートが社会的にこれからできたらいいなというようなことはありますか? 兼松:JISSの託児所は、私の子どもがある程度大きくなってから出来たので、その時にはもうすでに託児所に入る年齢ではなくなっていて。もうちょっと早くあれば良かったなと思います。名古屋の方では自分が知らないだけかも知れないんですけれども、そういう託児所が無かったので本当に自分の家族しか頼るところがなくて。あとは、所属チームや代表チームで私が一番思い描いていたのは、代表合宿の時にミーティング中に自分の膝に娘を抱いてミーティングを受けるということまで想像をしていたんです。ところが実際は、一回だけ代表の練習に娘を連れていった時に、グラウンドの中に入ってきてしまい、かあちゃんと言って足にへばりついてくるといった状態だったのでそれからは連れて行くのは心配で出来なかったです。安心して子どもを見てくれるところが今はJISSくらいしかないのではないか思うので、ぜひ名古屋にも出来てほしいなと思いますし、クラブチームでもどこでも子どもを見てくれる人がいてくれたら嬉しいなと思います。 佐藤:ママアスリート向けの正しい専門知識を学んでいれば、妊娠中に切迫早産にならなくて済んだかもしれないですし、安定期に入った頃からトレーニングをすることができたのかなと思います。ですので、そういう情報を競技団体として知ってもらえたらいいなと思います。あとは今、JISSのある北区ではなく、都内の別のところに住んでいるのですが、住民票は違うところにあるので、保育園に入れるのに手続きが複雑になってきます。JISSの近くで保育園に預けられた方が練習の前後ですぐに送り迎えに行けるので出来ればそうしたいです。今子どもが3歳になって、そろそろ保育園で集団生活をさせたいと思いますが、住民票がこっちになくても近くの保育園に入れるなど、そういうサポートがあったらと思っています。 三星:私はマタニティトレーニング的な事例集がほしいなと思いました。専門知識があれば妊娠中・産後に安心して運動ができると思います。一般的なフィットネスではなくて、どちらかというとアスリート寄りのマタニティトレーニングの事例集みたいなものがあったら良かったなと思います。 「産後復帰のために行ったこと」 産後復帰するために特別にやられたようなトレーニング、普通のアスリートとは違う産後のトレーニングのようなものがあれば教えて頂けたらと思います。 佐藤:私の場合は、富山からJISSに来て、産後のトレーニングメニューを組んでもらいました。 兼松:私は全く知識がなかったので、まず自分の出来ることから、腹筋1回から2回3回という風に地道に今までやってきたことを一日も早くできるように、でも焦らないでやっていくようにしていました。 三星:子どもを生んだら、24時間全てを子どものために使うことが当たり前のような感じになると思うんですけれども、トレーニングの時間は、子どもがいなかった時に比べると、3分の1くらいになってしまいました。それでも限られた時間の中で世界と戦うためにどんなことをしないといけないのかということを分析しました。私はフリースタイルスキーなので、ジャンプして演技したりするんですけれども、その際に軸の使い方がすごく重要なんです。雪上で技を行うのは結構リスクが高いので、できる限り怪我をしないトレーニング方法として、トランポリンの回数をものすごく増やしました。また、それよりもさらにベーシックなことで、クラッシックバレエの基本動作を意識することがきれいな軸を作ることに役立つので、基本動作を繰り返し行い、ジャンプする時の安定感を高めるということをしました。 「女性としてどう変化したのか」 出産前と出産後で言動や行動で変化したことはありましたか。例えば、今まではお化粧をしていたけれど出産後はしなくなったなど・・・。 兼松:あまり参考にならないかも知れないですけれども、私は妊娠前から化粧を全くしてこなかったので、全然そこに対しては変化はなかったです。ただちょっとでも負担がなくなるように髪の毛は短く切りました。少しでも清潔というか、今まで髪の毛を触っていた時間を少しでも子育てとかに使えるようにと髪の毛を切りました。でもやっぱり娘を産んだ後に一番大きく変わったのは、子どもに常に見られているという意識があるので、もちろんラグビーをやっている時もそうですけれど、普段の時でも言葉遣いは子どもに話しかけるようになったと思います。逆にこれがラグビーにも還元されまして、どのように話すと相手がどういう気持ちになるのかなということを今まで以上に考えるようにはなったかなと思います。 佐藤:私も髪型で言えば同じで、長いと乾かすのに時間がかかってしまうので、出産前にバサッと切りました。今はもう3年経ったので伸びましたが。あとは周りを見ることが少しできるようになったんじゃないかなと思います。独身の時は自分のことしか考えていなかったりしたんですけれど、主人や子どもの事を考えたり、チームの後輩達の事を考えたり、周りに目をやることができるようになったかなと思います。 三星:私は髪の毛は長かったんですけれどもバサッと切らず、癖毛なのでパッとまとめられる様にしていました。私も視野は広くなったかなと思います。でも周りに優しくなるよりも、もっと自分に集中できるように変化しました。ONとOFFの切り替えが上手になりました。女性的なところで言うと、お化粧や自分を着飾ることは結構好きで、それは日常的には全部OFFになりました。家の中にいる時はノーメイクが多いです。でも逆に外に出る時は、メイクとかはちゃんとしていましたね。私の仕事は、魅せる・ジャッジされる種目でもあったので、その辺も気を配っていたというのもあります。 「ママの顔とアスリートの顔。切り替えのスイッチ」 ママの顔とアスリートの顔の切り替えをされていると聞いたんですけれども、切り替える時に私ならこうするということがあったら教えて頂きたいです。 兼松:スイッチに関しては玄関ですね。私の場合は基本的に外でトレーニングをするので、行ってきますと外に出た瞬間、心の中で「変身」と言って、そこから完全にラグビー選手になるという風に考えています。ラグビーをしている時は娘のことを完全に忘れてやっています。一度だけ娘に聞かれたことがありまして、「世界で一番大切なものは何?」と質問をされた時に、もちろん娘の名前を言ったんですけれども、その後に聞いてきたことが「じゃあラグビーをやっている時は何が一番大事?」と聞かれて、多分きっと普通のお母さんだったら、ラグビーをやっている時だって娘が一番大事だよって答えると思うんですけれども。でも私は自分がラグビーをやっている時に果たして娘のことを考えているかと思ったら絶対考えていないので、これは嘘をついちゃいけないと思って。正直に「ボールが一番大事」と言って、あとは仲間が大事だから「サクラセブンズのお姉ちゃん達が一番大事」、でもその後に本当にこんなことを言って申し訳ないと思って「ごめんね」って謝ったんです。そうしたら娘が笑って「母ちゃん、ラグビーしている時は私のこと忘れていいよ。でもラグビーが終わった瞬間に一番に私のことを思い出してね」と言ってくれて。その言葉を聞いた時に、本当に幸せだなと思いましたし、ラグビーのことにこれからも集中できるなという風に思いました。本当に娘には感謝しています。そういうこともありました。 佐藤:私のONとOFFの切り替えは子どもがいるかいないかですね。私が練習場に子どもを連れてきてそこから託児所に預けに行くので、託児所に預けるまではママの顔で、託児所に預けた瞬間アスリートの顔になります。練習場で「このままいるとママに見えない」と言われたことがあります。でも子どもを連れて歩いていると「やっぱりママなんだ」という風に言われるので、そこがONとOFFが切り替わるところかなと思います。 三星:私のONとOFFの切り替えは子どもが目の前にいるかいないかですね。私の場合は海外遠征に子どもを帯同させたり試合会場にも連れて行ったりしていましたが、子どもが目の前にいて話している時はママなんですけれど、子どもを置いてリフトに乗った時に呼吸と整えてアスリートになる、という形でONとOFFの切り替えをしていました。目の前に子どもがいるかいないかだから、スキー場や練習会場では、いるかいないかでONとOFFのスイッチがコロコロ切り替わりまくっていました。 「応援して下さる方だけじゃない」 小学校・幼稚園・保育園で、他の父兄の方とのコミュニケーションについてお伺いしたいです。やっぱり応援して下さる方だけではないと思うので、そういった方の対応の仕方を教えてほしいと思います。 兼松:小学校の父兄の皆さんには、お世話になってばかりでPTAもほとんど免除して頂いていて、授業参観などで会った時にお礼の言葉を言うくらいです。オリンピック前には、学校行事にほとんど参加できなかったんですけれども、父兄の皆さんもだんだん応援して下さるようになりました。時には「母親失格だ」と言う言葉を聞いたり、嫌なことも沢山あったんですけれども、でもオリンピックが近づいてきた時には、応援して頂くことの方が多かったので、やってきたことは周りの皆さんは見てくれているのかなと思いました。 佐藤:私は富山で子どもを出産したので、富山で同じ病院だったママ友がいるんですけれども、そこのママ達には自分はアスリートだということをその時全く言っていなかったです。なので仕事を聞かれたら、今の所属が銀行なので銀行員だよとか言っていて。そこから結局一年経って東京に出てくるとなった時に、さすがに銀行員のまま転勤するわけにもいかないなと思って、実はアスリートで復帰するから東京に戻るんだと言いました。そのママ達とは今でも付き合いがあって会えば子ども達同士も仲良く遊びます。 司会:ありがとうございました。お時間になりましたのでまだ聞きたいことがある方がいらっしゃるかもしれませんがここで一旦終わりにしたいと思います。それでは以上をもちましてトークセッションを終了させて頂きます。兼松さん、佐藤さん、三星さん、どうもありがとうございました。 |