仙台大学・スポーツ情報マスメディア学科・講師(スポーツ情報戦略)
2006年4月~2009年3月 JISSスポーツ情報研究部契約研究員
私は2009年4月、宮城県にある仙台大学に講師として着任しました。スポーツ情報戦略を専門領域として、主に競技力向上に関わるあらゆる取り組みにおいて、情報を戦略的かつ効果的に扱うことに関する教育・研究に従事しています。
仙台大学スポーツ情報マスメディア学科は2007年4月に設置されました。同学科スポーツ情報戦略コースの教育の在り方についてはまさに試行錯誤の最中にあり、学生との対話に学びを得ながら日々駆け回る生活を送っています。
また私は、仙台大学スポーツ情報マスメディア研究所(ISIM)研究員として、JISS情報戦略部門や県内外のスポーツ団体、地方自治体等とのプロジェ クトや連携活動にも関わっています。仙台大学は2007年10月、JISSと「スポーツ情報戦略研究の推進における相互協力協定」を締結。その協定をきっ かけとして2008年3月に設立されたのがISIMです。ISIMは、スポーツ情報分野における研究活動の立場から、学外のスポーツ団体・組織と連携し、 相互の資源や機能を繋げ、日本のスポーツ振興に寄与するとともに、学科教育の充実を図ることを目的とする大学の一部局です。
2006年度から3年間、私はJISSスポーツ情 報研究部に務めました。業務では主に「長期情報戦略事業」を担当し、国際競技力向上に関わる国内外の情報を収集し、それを関係機関に配信したり、情勢分析 を行い、日本オリンピック委員会(JOC)など、国際競技力向上の政策的な意思決定に関わる関係者にレポートすることなどが仕事でした。
また、国際競技力向上を推進していくためには、国内におけるさまざまな関係者間の議論や連携が不可欠です。そのネットワーキングを促進するため、各都道 府県教育委員会や体育協会、スポーツ医科学センター、体育系大学、国内スポーツ関連学会等との連携ネットワークの構築も担当しました。具体的には、(国 際)競技力向上に関わる情報を定常的に共有するための情報ネットワークの運営、関係者間の議論を促進し、新たな取り組みを推進するための全国会議の運営な どにたずさわりました。
その中でも特に「タレント発掘・育成事業」の普及・促進に関わる取り組みは大きなウエイトを占めました。文部科学省が2000年に策定した「スポーツ振 興基本計画」にも掲げられているとおり、優れた素質を有する人材を発掘し、計画的かつ系統的に育成するための取り組みを推進することは、日本の国際競技力 向上を考える上での主要課題であったからです。私が着任する以前からJISSスポーツ情報研究部ではJOC情報戦略部会と連携しながら、競技団体や地方自 治体の関係者との勉強会やモデル事業の検討・実施、各種の研究を重ねてきていました。私の役割は、その取り組みをさらに加速していくために、タレント発 掘・育成に関わる国内外の情報を広く収集・共有するとともに、増加していくタレント発掘・育成事業の品質を維持・向上するために、何が本質的に重要なのか ということを研究しながら、地域の方々と議論を続けていくことにあったと思います。
このような話を初めて耳にする方は、JISSにはそのような役割もあるのかと思われるかも知れません。私はJISSの契約研究員の中でも、最も競技現場から離れたところで仕事をしていた一人だと思います。
私とJISSの関わりは、2002年ソルトレークシティー冬季オ リンピックに遡ります。私は当時、JOC強化事業部で働いていました。JISSが開設されてから初めてのオリンピックである2002年大会において、 JISS情報部はJOCと連携して、オリンピック期間中におけるJOC日本代表選手団に対する情報後方支援活動を行うことになり、私はJOCの立場でこの プロジェクトに参加。大会期間中は泊まり込みでJISSに詰め、16時間の時差があるソルトレークシティーで戦う日本代表選手団本部への、日本からの情報 支援活動にたずさわりました。後にこの活動は「東京Jプロジェクト」と呼ばれるようになりました。
その後、私は夏季及び冬季オリンピックやアジア大会、ユニバーシアード大会などの国際総合競技大会時に立ち上げられた、すべての東京Jプロジェクトに参 加させていただいた機会を通じて、一歩引いた場所から情報で前線を支援する仕事の意味や、その活動を通じて収集された国内外の情報を分析することで得られ る、4年後、8年後に向けた我が国の国際競技力向上方策への示唆の重要性を実感しました。そのことを契機として、私はJISSで情報の仕事にたずさわりた いと強く思いました。
その気持ちをより強固なものにしたもう一つの大きな理由は「尊敬する上司との出会い」です。困難な状況下においても決して慌てず、焦らず、諦めずに、常 に大局から将来の日本のあるべき姿に近づくためにいま何をすべきかを考え、ぶれずに行動するその人と、私はとにかく同じチームで仕事をしてみたい、と思い ました。願いは叶い、ともに働かせていただくことを通じて、私がその上司から学んだことは計り知れません。
全国会議やフォーラム等、関係者や関係機関とのネットワーキング に関わる仕事は、その一つひとつに思い出があります。例えば、2007年度に開催した「JISSネットワーク総合会議」は、JOC、中央競技団体、地域、 大学、学会等のすべてのネットワークメンバーを対象にしたワークショップ型のカンファレンスで、「国際競技力向上に関わるすべての人と情報を一つに束ね る」をコンセプトに、ネットワーク相互の情報交換と人的交流を狙いとした初の試みでした。その実現には、企画立案からさまざまな折衝まで、私にとっては多 くの試練の連続でしたので、実現できた時の喜びは今でもはっきりと覚えています。
また、2008年度に実施した「2016年オリンピック・パラリンピック招致支援・大学ネットワークフォーラム~OUR LEGACY TOKYO2016の息吹~」では、体育系大学以外のステークホルダーも対象としながら、海外から招聘したレガシープロジェクトの第一人者 らとともに、招致活動がもたらすレガシー(未来への価値)とこれからのオリンピックやスポーツの在り方を考える、新たな挑戦をしました。残念ながら、 2016年のオリンピックは日本に来ませんでしたが、そこに参加し出会った大学生たちがいま現在も、招致レガシーを今後のスポーツ振興に繋いでいこうと着 実に取り組みを続けていることが、本フォーラムのレガシーだと思いますし、企画チームの一人として「やって良かった」と実感しています。
しかしながら、私にとって最も大事なことは、日常の中にありました。先に述べたような大きなイベントの陰に隠れてしまいがちですが、実はとても地味な日 々の情報活動が、日本の国際競技力向上における、後の重要な意思決定に大きなインパクトを与えることがあります。幾度か巡り会ったそのような経験を通じ て、私は絶え間なく続く情報活動そのものを支えることが自身に課せられた重要なミッションであることを自覚しました。その取り組みの中で情報を扱ってきた ことこそが、最も心に残っている仕事と言えます。
5.JISSでの仕事で得たもの、成長した面は何か。 |
私が得たものは、尊敬できる多くの方との「出会い」だと思いま す。3年間の仕事を通じて、チームであるJISSスタッフはもとより、競技団体の強化責任者やナショナルコーチ、地方自治体のスポーツ政策担当者、そして 大学の先生方など、競技力向上に関わるあらゆる立場の方と仕事をさせていただきました。そのような機会に巡り会えたことをとても嬉しく思っています。
国際競技力向上に関わる意思決定者が必要とする情報を、適切なタイミングと方法で提供していくことが情報戦略の仕事では求められます。つまり、制約のあ る状況や環境の中でもその瞬間まで最善を尽くして必ず対応しなければなりません。またそのためには、普段から国際競技力向上に関わる潮流や動向を広く観察 しておく必要があります。その日々のプレッシャーを感じながらの仕事を通して、常に未来を見て仕事をするポリシーや決断力、情報への感度を鍛えていただい たと感じています。
6.JISSでこれから働きたいと思う人へのメッセージ |
国際競技力向上の戦いがますます拮抗し、諸外国の取り組みが高度 化するいま、JISSスタッフには、木ではなく森をみて仕事ができる人材が求められていると思います。全体を踏まえて個々の課題を捉えることで初めて、よ り戦略的にそれぞれの専門的な知識や経験をアスリートのパフォーマンス向上に適用できるからです。
情報戦略は、日本の持続可能な国際競技力向上の在り方を考える仕事でもあります。未来の進むべき方向性に積極的に関わることの責任の重さが、仕事として の大きなやりがいにも繋がります。そういったことに喜びを感じて、真摯に未来に向き合おうと思う人が、JISSの一員として日本のスポーツを支えていただ けたら大変嬉しく思います。
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