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「日本はNIPPON?それともJAPAN?」
入場行進の写真
日本が初めてオリンピックに参加したのは、北欧のスウェーデンで開催された「第5回ストックホルム大会」です。
今をさかのぼること88年!1912年(明治45年)の話です。
日本で最初のオリンピック選手は、今の羽田空港の滑走路にあった「羽田競技場」で行われた国内予選会で選ばれた三島弥彦と金栗四三の2名でした。また、 日本選手団の団長は、オリンピックに参加するため急きょ創立した「大日本体育協会」の初代会長であり、柔道を創設した嘉 納治五郎が務めました。
当時、航空機はなかったので、船と鉄道を乗り継ぎ、約2か月かけて現地入りしたそうです。ちなみに交通費、滞在費などは、全て自費によるものでした。
オリンピックでは、競技もさることながら開会式にも注目が集まります。
開会式の入場行進の順番は、通常アルファベット順に行われます。このとき、日本は、イタリア(ITALY)とルクセンブルグ(LUXEMBOURG)の 間で行進しました。日本は、「NIPPON」のプラカードを持って行進していますので、本来ならルクセンブルグの後に行進しなくてはならないはずです。
しかし、写真を見ると、確かに日本の後にルクセンブルグの選手団が行進しています。
不思議だと思いませんか?
当時のユニホーム
なぜこのようになったかというと、当初、ストックホルムの組織委員会は、日本のことを「JAPAN」という扱いでいましたが、日本選手団が大会直前になっ て「NIPPON」を主張したためです。この主張が認められ、プラカードの国名表示は「JAPAN」から「NIPPON」になりましたが、入場行進の順番 までを変更することはできなかったようです。
ちなみに「ジャパン=ジパング」は、マルコ・ポーロが「東方見聞録」の中で日本のことを示した地名といわれています。
(文中敬称略)
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