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ダニのごとく、土佐犬のごとく
20世紀最後のオリンピックとなった第27回シドニー大会(2000年)では、柔道、水泳、女子マラソンなど日本代表選手の活躍が目立った大会でした。
そんな中でサッカーの日本代表チームも期待通りの活躍を見せ、第19回メキシコ大会(1968年)以来32年ぶりの決勝トーナメントに進出しました。 ワールドカップ・フランス大会初出場、ワールドユース大会準優勝と順調に結果を出してきた日本は、オリンピック後に行われたアジアカップで2回目の優勝を 果たし、2002年に行われるワールドカップへの期待は高まるばかりです。
第11回ベルリン大会代表選手
そんな日本ですが、オリンピックにおける歴史を振り返ると、意外にも「ジャイアント・キラー」の名称が当てはまります。
初めて出場した第11回ベルリン大会(1936年)では、優勝候補のスウェーデンを逆転で破り、オリンピックでのデビューを飾りました。
日本は、「全精神、全精力を傾注しつくして後悔なき様力闘すること、即ち弓矢も力もつき果てる迄戦ひ抜く事」、「先づ、ダニの如く執拗に、土佐犬の如く 落ち付きから勇敢に」という気持ちで「曇天南風やや強し」という気象条件の中、強豪スウェーデンに立ち向かいました。今でもスウェーデンのサッカーファン は、日本に対し特別の感情を抱いているそうです。
また、地元開催の第18回東京大会(1964年)では、これまた優勝候補のアルゼンチンを破り、続く第19回メキシコ大会(1968年)では 決勝トーナメントに進出し、3位決定戦で地元メキシコを破って見事銅メダルを獲得しています。この大会では釜本邦茂選手が得点王に輝いており、現時点での オリンピックにおけるハイライトと言えます。
記憶に新しいところでは、そのメキシコ大会以来の出場となった前回のアトランタ大会(1996年)でも、ヨーロッパで活躍するスター選手をずらりとそろえた優勝候補のブラジルを1-0で破る番狂わせを演じ、「マイアミの奇跡」と言われました。
さて、サッカーというスポーツは、いつ、どこで生まれたのでしょうか。
ボール(球)を蹴るという単純なスポーツは、世界各地で行われてきた歴史があり、例えばアジアに限っても、中国の「蹴鞠(しゅうぎく)」、東南ア ジアの「セパ・タクロー」「チンロン」「セパラガ」といった具合です。日本でも貴族社会では「蹴鞠(けまり)」が行われていました。
しかし、「サッカーの母国」として世界の人々に認められているのはイングランド(英国)です。今から150年程前の1863年にイングランド にサッカー協会が設立され、ルールが統一されました。これが「フットボール・アソシエーション(FA)」です。「サッカー」という言葉もここからきていま す。
(1)Football Association(フットボール・アソシエーション)
↓
(2)assoccer(アソッカー)
↓
(3)soccer(サッカー)
「あ、そっかぁ」と思うでしょうが、伝統のあるチームでは「ソッカー部」というところもあります。
日本でも昭和の初めくらいまで、「ア式蹴球=アソシエーション式フットボール」、ラグビーを「ラ式蹴球=ラグビー式フットボール」と呼んでいました。ちなみに、蹴球という言葉も中国の「蹴鞠」からきていますが、その中国では「足球」と呼ばれています。
博物館では、第11回ベルリン大会のスウェーデン戦で逆転ゴールを決めた松永選手(第2次大戦で戦死されました)の世界で唯一の残っているユニフォームをはじめ、約40年前の東京オリンピック時の使用ボールなどを展示しています。
松永選手のユニフォーム |
東京大会使用ボール |
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