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日本サッカーの父 ― デットマール・クラマー
クラマー氏の
サインボール |
メキシコオリンピックの
日本代表ユニフォーム |
2002年6月、ワールドカップでの初勝利だけでなく、決勝トーナメント進出を狙う日本サッカー。
今回は東京オリンピック(1964年)ベスト8、メキシコオリンピック(1968年)銅メダルといった1960年代の日本サッカー躍進の原動力となり、 「日本サッカーの父」といわれている日本初の外国人コーチ・クラマー(デットマール・クラマー Dettmar Cramer)の話をしよう。
日本は、悲願の第18回東京オリンピック開催が、1959年の第55次IOC総会で決定されたが、その翌年に開催される第17回ローマオリンピックの予選では、韓国と争い1敗1分の成績でローマオリンピック出場権を失う。
東京オリンピックの前哨戦ともいえるローマオリンピックに出場するべく、日本サッカーは国内外で武者修業を行い、経験を積んできたのであったが・・・。
すでに東京オリンピック開催が決定しているにもかかわらず、ローマへの道は遠く、サッカー関係者の悩みは深刻であった。関係者のこの時の落胆は、察するに余りあったであろう。
しかし、それにメゲルことなく1960年夏「イメージは高く、大きく持て」というスローガンのもと、東京大会に向けて旧西ドイツから旧ソ連まで武者修行の旅に出るのだった。
この時期の協会機関紙を読んでみると、戦術、フォーメーション、精神、ボール、グラウンドなど日本サッカーを立て直せんと懸命に分析している。この関係者の努力、真摯な気持ちが文章からにじみ出てくる。
博物館の隣にあるスポーツ図書館には、協会が昭和6年に発行した「蹴球」創刊号から現在に至るまでの機関紙のバックナンバーが揃っており、誰でも日本サッカーの歴史をひも解くことができる。
また、日本蹴球協会による「日本サッカーの歩み―日本蹴球協会創立満50年記念出版」(1974年刊行)という名著もある。
この本は普通の協会史とは明らかに異質の内容で、関係者の熱い想いが行間ににじみ出ており、姿勢を正して読んでいただきたい。
また横道にそれてしまったがクラマーの話をしよう。
東京オリンピックを迎えるにあたって(開催国であったので予選はなかったが)、ドイツから招聘された人物がクラマーであった。
クラマー氏のコーチ風景 |
外国人コーチを日本に呼ぶ経験もなかった時代であり(外国人を招聘することに賛否両論があったが)クラマーは基本の基本から徹底的に教えただけでなく、「サッカーの哲学」を日本へ植え込んだ。
1960年に初来日したクラマーは、東京オリンピックが終了するまでの間、数度の帰国を挟み、延べ約1年10か月の間に、日本サッカーの基礎を築き上げた。
その後も、ことあるごとに日本サッカーを見つめてくれた「大恩人」なのだ。
クラマーは東京オリンピック終了後の帰国にあたって、5つの提言を残している。
- 国際試合の経験を数多く積むこと。
- コーチ制度を導入すること。
- リーグ戦を開催すること。
- 芝生のグラウンドを数多くつくること。
今では当たり前のことのようであるが、当時は画期的な提言であったのだ。
この彼の提唱により「JSL(日本サッカーリーグ)」が創設され、当時競技力の高かった大学の有望選手たちが続々と「日本サッカーリーグ参加チーム(実業団)」に入団することになる。この創設が1968年メキシコオリンピック銅メダルの栄光につながっ ていくのである。
この日本サッカーリーグに影響を受け、バスケットボールなどのリーグ戦もはじまることになるのだ。
クラマーは最初の練習の時、選手に言ったそうである。「サッカーには人生のすべてがある。特に男にとって必要なすべてがある」
「グラウンドはサッカーだけをやる所ではない。人間としての修練の場である」―いい言葉である。
「言葉の魔術師」といわれたクラマーは数々の言葉を残している。名著「日本サッカーの歩み―日本蹴球協会創立満50年記念出版―」から抜粋する。
- タイムアップの笛は次の試合へのキックオフの笛である。
- サッカーの上達に近道はない。不断の努力だけである。
- ボールコントロールは次の室にはいる鍵だ。この鍵さえあればサッカーというゲームは なんでもできる。
- ボールをもっと可愛がれ。ボールをきらえばボールも君をきらう。ボールになじみボールから自由になれ。
- ガールハントをし酒を飲み煙草も吸いながら一流のプレーヤーになろうと思ってもそれは不可能だ。サッカーは心の教育の場である。
- せっかくここまで盛り上がったサッカーだ。これを栄えさせるかすたれさせるかは君たちの肩にかかっている。
- 君は今たいへんなことをやろうとしている。たいへんなことだからすばらしいのだ。すばらしいことをする人間がくじけてはいけない。
- 背を向けて去るな。みんな必要な人間なのだ。
- 試合で勝った者には友達が集まってくる。新しい友達もできる。本当に友人が必要なのは敗れたときであり敗れたほうである。私は敗れた者を訪れよう。
- コックが多すぎるとスープがまずくなる。
- 物を見るのは精神であり物を聞くのも精神である。眼それ自体は盲目であり耳それ自体は聾である。
(11)にコダワったため、ちょっとしつこかったかもしれないが、クラマーの言葉の一部である。
この中のひとつでも覚えておいてほしいものだ。
特に(5)が胸にグサリとくる人は多いのではないだろうか?
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