博物館ニュース 第14号

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「全国各地で活躍するスポーツ資料」

お台場「JOCオリンピックパレス」第10回ロサンゼルス大会ほか~

 秩父宮スポーツ博物館では、多くの皆様に日本のスポーツの足跡をご覧になっていただき、スポーツに対する理解を深めていただくために、全国各地で行われる展示会等に当館の収蔵資料の出品協力を行うなど、さまざまな協力を行っています。

お台場マップ

 今回ご紹介するのは、東京の名所の一つ、お台場で行っている展示会です。

 お台場(青海)にある「パレットタウン・サンウォーク」内の「ワールドスポーツプラザ・グランドーム店」に、「JOCオリンピックパレス」というコーナーがあります。
この「JOCオリンピックパレス」では、過去のオリンピックの貴重な資料を展示し、オリンピックの紹介を行っています。
その展示に、当館が出品協力を行っています。

 展示はまだまだ続き、一月ごとに展示品も入れ替えていますので、ぜひお立寄りください。

※ 財団法人日本オリンピック委員会(JOC)は、「オリンピック・ムーブメントを推進し、スポーツを通じて世界の平和の維持と国際的友好親善に貢献す るとともに我が国スポーツ選手の育成・強化を図り、もってスポーツ振興に寄与することを目的」とした数々の活動を行っています。

 なお、当秩父宮記念スポーツ博物館では、オリンピックをはじめとした日本のスポーツの歴史的資料を数多く展示しています。ぜひご来館ください。


≪第10回ロサンゼルス大会、第11回ベルリン大会、第12回東京大会(中止)≫

<展示品の紹介>

 平成15年5~6月の展示では、第10回ロサンゼルス大会第11回ベルリン大会第12回東京大会(中止)を紹介しています。
日本だけではなく、世界中がオリンピックの歴史の中で光と影とが錯綜した時代でもありました。
この3つのオリンピックで戦前のオリンピック紹介は終わることになります。

<第10回ロサンゼルス大会>1932年7月31日~8月14日

《展示品》

  • デレゲーションユニホーム(日本選手団の公式ユニホーム)
  • 記念ペナント
  • 参加メダル
  • オリンピックポスター

 日本選手団は、選手役員総勢192名という当時としては空前の選手団が参加しました。当時は飛行機での参加ではなく、龍田丸、大洋丸という船で、ハワイ経由でロサンゼルスに向かいました。
船による長旅のため、デッキで陸上競技の練習などを行っていました。

 この大会では、金7個、銀7個、銅4個と大活躍し、特に「水泳ニッポン」「陸上ニッポン」という名を世界に轟かすとともに、日本の馬術史上唯一の金メダル(西竹一)にも輝きました。

<第11回ベルリン大会>1936年8月1日~16日

《展示品》

  • 聖火リレー用トーチホルダー
  • IOC委員用首飾り
  • 日本選手団用帽子と靴
  • オリンピックポスター

聖火リレー用トーチホルダー
第11回ベルリン大会
聖火リレー用トーチホルダー

 この大会は今までのオリンピックの中でも非常にきめ細かく、華麗な演出が行われましたが、「ナチスのオリンピック」「ヒトラーのオリンピック」ともいわれました。
この大会が開催される前日の7月31日にIOC総会によって次回の第12回オリンピックが東京で開催されることが決定し、日本政府は国際社会へのアピールの場と考え、また、スポーツ界や選手たちは本格的な国際大会が開催される期待に胸をふくらませた大会でありました。
そのIOC総会に出席したのが、副島道正(そえじまみちまさ)です。彼はIOC委員として日本でオリンピックを開催するために尽力した人物です。彼が東京 オリンピック招致に成功したIOC総会で使用した首飾り(今でいうIDカードあるいは勲章のようなもの)を展示しています。

 この大会では、初めて聖火リレーが行われました。アテネから主会場のベルリンまでをリレーするという現在の聖火リレーの原型をなすものです。しかし、この聖火リレーは、聖火リレーという名のもとに、ナチスがヨーロッパ侵攻を行うための偵察に使われたという説があります。

<第12回東京オリンピック>1940年 中止

  • 中止新聞号外
  • 日本を紹介したパンフレット
  • 幻のオリンピックポスター

展示の様子
第12回東京オリンピック
展示の様子

 日本及び東京市では、神武天皇即位から2600年(皇紀2600年)を記念した行事とするためにも、東京でオリンピックを開催するため各国を説得し、開催決定に至りました。
しかし、1937年に勃発した日中戦争の影響で大会を返上することとなり、また、同じ年に開催する予定であった札幌冬季大会も中止することになりました。
IOCは、代替地としてヘルシンキを選びましたが、旧ソ連の侵攻で第12回大会はやむなく中止となりました。
また、第13回大会はロンドンに決定しましたが、第2次世界大戦がはじまり、ナチスドイツによるイギリス本土への空襲により、このロンドン大会も中止となり、オリンピックは連続2回中止となってしまいました。

 第14回大会はロンドン(1948年)で開催されましたが、日本とドイツは戦争を引き起こした張本人ということで招待されませんでした。
ですから、日本が戦後はじめて参加したオリンピックは、第15回ヘルシンキ大会(1952年)からになります。
戦争による12年間の空白は、日本のスポーツに多大な影響をもたらすことになります。

 次回の展示では、第15回ヘルシンキ大会から東京大会の前の第17回ローマ大会(1960年)までの資料を紹介する予定です。

 

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